
山本ジョージ物語を書いていたとき、ふと、ひとつの記憶が蘇った。それは、同期が集まって行われた「四十歳研修」のことだった。
老後について考える時間があった。
「あなたの老後の一日を描いてください」と、講師が言った。
皆がペンを止め、黙り込む中で、私だけが迷わずタイムスケジュールを書き出していた。
――朝早く起きて釣りへ出る。
帰って魚をさばき、午後は釣りの動画を編集してYouTubeに投稿する。
夜は、その魚で一杯やる。
同期たちは口々に言った。
「けんたはすごい」「けんただけが老後を見据えている」と。今にして思えば、あの瞬間が、私の人生の頂点だったのかもしれない。
あれから六年が経った。
同期は次々と昇進していった。
時代はめまぐるしく移り変わり、
頼みの綱だったYouTubeも、TikTokの台頭で風化していった。
収益化は夢のまた夢。
私のチャンネルは、ただのホームビデオのように静かに置き去りにされた。いつか走馬灯のように振り返るためだけの映像――そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
ある日、広島への出張があった。新幹線の座席で、若きISIの隣に、若く美しい女性が座った。帰りの便でも、またISIの隣には女子大生。
映画『ジョー・ブラックによろしく』のブラッド・ピットのように、ISIは若く、光をまとっていた。
洒落た服に身を包んでいた彼に、私は尋ねた。
「お洒落ですね。服はよく買うんでしょ?」
「いいえ」
少し照れくさそうに彼は笑った。
「服なんて、もう三年は買ってません。これ、嫁が買ってきたユニクロの700円のシャツです。ジーンズもGUですよ。」
私は、その瞬間に気づかされた。
彼はお洒落をしていたのではない。
ただ、その素材が美しかったのだ。
ユニクロもGUも、彼が着ればグッチやシャネルのように見えてしまう。
出張を終えても、胸の中にはモヤモヤとしたものが残った。
だが、羨んでも仕方がない。
人は皆、等しく年を取るのだ。
ブラッド・ピットも、クレア・フォーラニも、そして、私にも確かに若い頃があった。
誰かと比べるから、苦しくなる。
私は私――それ以上でも、それ以下でもない。
映画『ジョー・ブラックによろしく』は、本当に美しい物語だ。死神が青年の姿を借り、老実業家ビル・パリッシュと出会い、その娘スーザンと恋に落ちる。だが、それは終わりのある恋だった。
“終わりがある”ということの中に、生の輝きと哀しみを、あれほどまでに静かに描いた映画を、私は知らない。見終えた後、胸が締めつけられ、頬を涙が伝っていた。
結局のところ、人生とは何なのだろう。
私は何をしているのだろう。
いつも疲れている。酒のせいか、加齢のせいか、それも分からない。ただ、確かに時間は過ぎ、またひとつ、歳を取っていく。
それでも、みんなそうやって生きている。
ユニポスを眺める。
別れた友は新しい地で働き、若き戦士たちは、それぞれの場所で輝いている。
人生は思い通りにならない。
疲れ、悩み、へこたれながらも、
それでも皆、ちゃんと前へ進んでいる。
「心をひらいていれば、いつか稲妻に打たれる」
若き戦士たちへ、老実業家のこの言葉を贈りたい。
そして、人生に迷う友にも、ビル・パリッシュの言葉を。
「何をしても思い出す。妻を思い出さないで終わる日は一日もない。」
人生は、いつだって美しい。
なぜなら――すべては、いつか終わってしまうのだから。
”That’s life. What can I tell you?”
あとがき 「生涯をかけて、相手への信頼と責任を全うすること。 そして、愛する人を決して傷つけぬこと。 そこに“無限”と“永遠”を掛け合わせたとき――ようやく、それは“愛”に近づく。」
映画『ジョー・ブラックをよろしく』が描いた、愛の本質です。
死神とスーザンの恋。 けれどその陰で、老実業家ビル・パリッシュと娘スーザンの、もうひとつの愛の物語が流れています。
娘を想うその気持ちは、恋と呼んでも間違いではないでしょう。 ビルが最後に娘へかける言葉は…
今夜、私も車で帰省します。
娘からは「シール屋さんに行きたい」「アニメイトに行ってみたい」と次々にリクエスト。
そのたびに私は、つい「いいよ」と二つ返事してしまいます。
死神は強く、老いた人間であるビルには抗う力はなかった。
けれど、娘の前に立つとき―― 彼は、死神さえも凌ぐほど、強く、優しかったのです。
長編小説ISI物語完
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天草生まれ、天草育ちのオジサンですが、ひょんなことから単身赴任になり関西へ。関西で魚が100匹釣れたら帰れるんやないかしらと淡い期待を抱きながら、日本海で魚釣りに励んでいます。キャンプ、車中泊などアウトドア全般が大好きです。