シーズン2 Ep.04 髪の毛

安倉寮の渡り廊下を歩いたとき、あまりの静けさに、私は「死」を思った。
半年前なら、幾何学的に並ぶ窓のどこかに西島さんがいて、「けんたろうちゃん、おはよ」と洗濯物を抱えた姿で声をかけてくださった。

今日は誰もいない。
四階の廊下には私だけがいて、あの喧騒も、オンラインに取り込まれてしまった兵たちの叫び声もない。

静かな廊下は、少しだけ死に似ていた。

Uクロ、つまりU棟クローズ。U棟は静かに終わりを迎えようとしている。

そして、もうひとつのUクロ。Uniposも終わってしまうらしい。

何にでも終わりはある。不思議なことではない。
人生にだって終わりがあるのだから。

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3年前に単身赴任がはじまった。行き先は、13年も住んだことがある伊丹だった。

懐かしさを覚えながら、サッカー部にも顔を出した。
知っている顔は減ったが、スポーツを愛する人たちは相変わらず体育館にいた。

昨日は「増田杯」が開催された。

波光電の元所長・増田さんが始めた大会だ。
増田さんは今ごろドイツで半導体を売りながらビールとソーセージを楽しんでいてはるらしいが、主役不在でも大会は続いている。

昨年3位、今年は4位。

しかしチーム数は6から8へ。
つまりレベルは上がった。
……と、自分を慰める。

40を超えると、1年ごとに体の変化がはっきりわかる。
車でいえばショックアブゾーバーからオイル漏れしている状態だ。
最高のパスが来ても、私の膝が拾えない。

パスミスではない。
膝が、ただ追いつかないのだ。

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ところが還暦を超えた先輩方が、俊敏に走り回る。
53才の超人、小玉さんもなぜか相手チームに混ざり、波光電の光を奪っていく。

化け物。野人。

いや、違う。
ただ、積み重ねてきただけなのだ。

努力は人間を“人間の限界”から少しだけ遠ざける。

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冬季オリンピックを見ていた。

スノーボードの 平野歩夢。
骨折を抱えながら、それでも彼は「かっこよさ」を選んだ。


炬燵でテレビを見ながら批評するのは、簡単だ。

だが、痛みの中で戦う選手を、本当の意味で理解することは難しい。

小玉さんのチームにリベンジの機会があったけれど、メンタルは弱っていた。

腰が痛い。足も痛い。私の体は悲鳴をあげていた。

リベンジに向かう気持ちを、心が勝手に押し戻してしまう。

あの時、あの1歩が出ていれば…

そんなことを考えながら相手チームの輪に混ざり歓喜の中にいる小玉さんを眺めていた。

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だからメダルには価値がある。

フィギュアスケートの“りくりゅう”、
三浦璃来と木原龍一。

あの演技を見て、泣かなかった人はいないだろう。

りくに肩入れするでもなく、りゅうに感情移入するでもない。
不思議なことに、私たちは二人を「一つ」として見ていた。

解説の 高橋成美 さんの言う通り、
あの二人でなければならなかった。

支え合い、思い合い、ぴたりと呼吸を合わせる。
完全に一つになった演技だった。

正直に言えば、フィギュアは個人が花形だと思っていた。
ペアはおまけだとすら思っていた。

でも、違った。

個人種目が霞むほどに、りくりゅうは輝いていた。

一人で戦うより難しいこともあっただろう。
同時に、二人でなければ辿り着けない場所もあったのだろう。

あの演技以来、私は映像を見るたびに何度でも泣いている。

もちろん、個人種目も圧巻だった。

天真爛漫な十七歳のあざといほどの可愛さ。
太陽のように明るい 坂本花織 の、あの緊張した横顔。
そして、冬の氷をすべて溶かしてしまうような主役、アリサ・リウ の圧倒的なオーラ。

彼女の厚みのある髪が揺れるたび、
私はなぜか『風の谷のナウシカ』のテトを思い出してしまうのだった。

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最近は、髪の毛について考えている。

私は髪を伸ばしている。しかも一部だけ金色に染めてしまった。
当然、非難轟轟である。

私はアリサ・リウではない。ただの中年のおじさんだ。
個性的であることが拍手に変わる側の人間ではない。

指摘されるたびに、少し揺らぐ。
やはり間違っているのか。
男の髪は短くあるべきなのか。

「短いほうが似合うよ」

ロン毛を志す者にとって、それは避けては通れない通過儀礼だ。

若い頃、ハウルに憧れて髪を伸ばした。
もちろん金髪だった。
だけどモテなかった。

私はハウルではなかったし、魔法も使えなかった。

ある日、ばっさり切った。
すると周囲は言った。

「ほらね、短い方がいいでしょ」

あのとき、私は少し負けた気がした。
世間に、というより、自分に。

私が私であることは、案外むずかしい。

アリサ・リウ のように、存在そのものが肯定される人もいる。
もし私が本気で髪をテトのように縞々に染めたらどうだろう。

称賛ではなく、心配の目で見られるに違いない。

だが、考えてみてほしい。

人生は一度きりだ。
しかも、モテることにそれほど意味はない。

モテたところで何になる。
牛の餌にもならない。

生きることには終わりがある。
だからこそ、髪の長さくらい、自分で選びたい。

髪を伸ばし続けることは、生きることに少し似ている。
楽なほうへ流れれば、すぐに整う。
空気を読めば、一瞬で正解になる。

いっそ切ってしまえばどんなに楽だろう。
何度も悩んだ。
チャッピーに相談したこともある。

「大丈夫だよ、けんた」

「髪を切ることだけが、人生ではないのだから」

チャッピーに相談するために撮った自撮り写真は、知らぬ間に妻のアレクサ・エコーショーに転送されていた。日替わりで出てくる金髪ロン毛おじさんの疲れは果てた顔を、妻は何を思って眺めていたのだろう。

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ふいに滝下さんを思い出す。

数ミリも伸びていないのに床屋へ行き、見事な細川たかしカットに仕上げてくる。
あれもまた、美学だ。

たとえ滝嫁さんに「切らんでよかろうもん。床屋代のもったいなかー」と言われようとも、「頭ん寒かー」という小ネタのために滝下さんは髪を切る。

いつか、すべて終わる。

だからこそ、生きていることは美しい。

批判をあびながら、滝下さんは髪を切り、私は髪を伸ばし続ける。

どんなにみじめな生命であっても、生命はそれ自体の力によって生きています。この星では生命はそれ自体が奇跡なのです。ナウシカ。

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