【出雲大社へ】島根、車中泊旅行の記録です

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新たな試みをしてみます。

写真だけUP…..。何が起こったかは想像してください。

いずれ、記事にします。笑


けんた目線の旅ブログ











「お腹すいたぁ~」



























さて、クイズです。

①、②、③、④、⑤は、どこでしょう。
写真だけで全部分かった方は、かなりの日本通です。


先に褒めておきます。

流石です!!

アロハ。
ケンタです。

早くも恒例となりました、想像するブログ!!
みなさまには好評を頂いております。

第一回とカブル出題もありますが、
今回も多数の応募を受け付けております。





















④ ヒント「鳴」














①.②.③.④.⑤の出題「ここはどこでしょう」です。
今回も、ふるってご応募ください。



第一回にご応募頂いた方へ。


●かわけん氏

車中泊の旅行もいいね~。
楽しそう。
車は買い換えたのかな。

場所は…ぜんぜんわかんないなぁ…。


○けんた

意外に爆睡しました。家より寝れるかも……。
安佐SAというところに2泊しました。
車は、パパ号です。コペンと交換中。


●やっさん氏

最初の写真から順にストーリーをつけるのかと思ってた、、、、

ワンボックスを簡単に改造して、キャンピングカーにしてみました。
そして、早速のドライブを開始。。。。
ところが、走り出してすぐに、、、、
リエ様が、、、「カップヌードルが今すぐ食べたい!」とおっしゃられ、、、、
道路脇に車を止めました。。。。

そして、キャンプ用の湯沸し機(新商品)を早速使って、お湯を沸かしました。。。

リエ様のご気分も良くなられて、ようやく最初の訪問地に到着、、、、

ってな感じかなと思ってました。。。。(笑)

○けんた

おぉ!!さすがやっさん氏!!!
見事に大はずれです

ww

今回のテーマは、「貧乏旅行」というわけで、できるだけお金を使わず
に旅をしてみました。
車と湯沸かし器は父より借用し、布団とカップラーメンを持参し、
高速は勿論、千円の日で、お金を使わずに遠出の旅^^

しかしながらやっさん氏のコメントに、
R氏は大笑いしておりましたので30点を差し上げます。^^

ストーリーをつけていくのも面白いですね。笑


●かすかべDCさん

①出雲大社と割子ソバ
②石見銀山
③白兎海岸
④金子みすずの生家
⑤金子みすず記念館

大体こんなところでしょうか?

○けんた

① ○ ② ○ ③ × ④ × ⑤ ○

というわけで60点です^^
残念ながら間違えられた問題は、第二回にも引き続き乗せてみました。

第一回の出題③は、第二回の出題④で、第1回の出題④は、
第二回の出題⑤でありんす。

ぜひ、またコメントくださいでありんす^^
ちなみに第二回の②と③は、第一回でも出題した場所です。
てか新しい出題は①だけ^^;


以上、ケンタでした。

想像させっぱなしでしたので、今回は記事を書いてみたいと思います。

萩を散策したのですが、萩のお殿様、毛利さんの方針は、
「質素な暮らしを、学問に金を」だったそうで、萩の城下町の武士たちの
家の庭は質素なものばかりのようです。

萩では、庄屋の久保田さんのお家、武士の木戸さんのお家、お医者の青木
さんのお家や、有名な高杉晋作のお家を回ったのですが、

今回は、高杉晋作の天然痘を治したという名医、青木先生について
ご紹介したいと思います。

青木周弼は、江戸時代の蘭学者は江戸時代の蘭学者で、
大変な名医だったそうです。

その弟の研蔵さんの養子になった周蔵さんという方が居て、
研蔵さんの娘と結婚したのだけれど、ドイツに行くのだと言うと
「私は行かない」ということで、別れて単身、ドイツへ。

しかしながら青木家は継いだままなので家系は続いたようです。複雑や。

その周蔵さんはドイツでドイツ人の女性と結婚し、帰国後関東のほうへ
お家を建ててくらしたそうです。

話は戻りますが、青木宅では平成2年に、一分銀が1175枚、293両、3分も
見つかったそうです。
これが、銀貨だけならば市に没収されるところでしたが、
賢い研蔵さんは名前(青研と記載)を書いた袋に包んでいたとのことで、
持ち主が判明しているので青木さんの子孫が受け取ることができたそうです。

しかし、当時の銀と金は同じくらいの価値があったそうですが、
現世では価値が離れてしまったので、金で置いておいてほしかったそうです。

そして、これが一分銀の発見されたという、蔵です。
蔵に見えないところも計算していたのでは、という話でした。


ためになるブログを書いてしまった…………..。


                             おわり。

りえ目線の旅ブログ

どもども。

今回の写真を見て、太っている事を実感し、あと1週間で結婚式なので、昨日から腹筋している、りえです

2泊3日で、山口と島根と北九州に行って来ました。
車に布団を敷いて泊まりました。熟睡でした。。どこでも寝れます

車で生活が出来そうです

いつものけんけんの車は、2人乗りで、かなり狭いのでいつも、疲れていたのですが、
やっぱり、大きな車は全然疲れません

門司港の建物の中。


関門トンネルの入り口。

下関といえば。。ふぐ!!!
からど市場に行きましたが、夕方だったので、お店は閉まっており。。
お茶のクッキーで、飢えをしのぎました。。
市場は、安くで、ふぐが食べれるらしいです。。

というか、壇ノ浦の戦いのとこと、巌流島もあったりして、一人で興奮してました~

巌流島、フェリーでいけるみたいです!
行きたかったなぁ。。

1日目は、金曜日だったので、高速を使わずに行きました。
夕方から高速に乗る前に、温泉に入ることに。
川棚温泉に行きました。
というか、今回の旅は、実はなんにも、調べてなくて。。
出雲大社と石見銀山に行くことだけ決めてました

行き当たりばったりです!

川棚温泉の看板があったため、向かったところ、かなり遠く、着くころには暗くなっていました。。

竹園旅館というとこに行ってみました。
お風呂だけで入りにくい感じでしたが、
おばさんが出てきて、とても親切にしていただきました。
貸切でした~

温泉も良かったです。
次の日、つるつるでした~

2日目。
出雲大社。
残念なことに、私達は逆走してました。。
鳥居を一番最後にくぐって気付きました。。。
やっぱり、下調べは大切です

トホホ。。

おはよーかん

今日こそは、結婚式&旅行の準備をしよう!!と思うのですが、
なかなか、進みません。。
追い込まれないと、できないタイプ。
ども。りえです

旅行に行く時は、いつも、当日に準備します。。

だけど、今回は、さすがに初ハワイなので、今日こそ準備をしなければ!!
とりあえず、玉ねぎをみじん切りにしてきます!!

オハナ。


おんなじオハナ。

夕方の海。

波がキラキラ。

ども。りえです

2日目の午後は、石見銀山に行ったとです。

2007年に世界遺産に登録されています。
町は、武家や商屋、社寺仏閣など様々な建物が混在しており、歴史を感じさせる素敵な町並みでした

坑道の跡は、600を超えているそうです。

現在公開している龍源寺間歩に行きました。銀を採掘した坑道のことを間歩(まぶ)といいます。
坑道の入り口に立つと、ひんやりとした冷たい風が。。
壁面には、ノミの跡。1日30センチしか、掘れなかったらしいです。。



バスを降りて、坑道(龍源寺間歩)まで、歩いて40分です

自転車も500円で借りれます。
みなさん、自転車に乗ってました。。
自転車だと、10分。。いいなぁ。。

景観を守っています。

ネコが、お店のガラスケースに。。動きません。
さすが、看板ネコ。

要注意人物(笑)
暑い~!!

カキ氷が食べたい!!
なんで、きゅうりやねん!


階段長い。。


ヘビ!?

毒蛇にかまれた?!

この日は、とても暑くて、日差しが強く、けんけんがフラフラしてました。。
私は、意外と大丈夫でした。。

雑貨屋さんもありました~シンプルなかんじのお店でした。
その2階では、割烹着に写真が印刷されている展示が。。

昔のおうちの造りなのに。。奥は。。

近代的!!


台所もオシャレ。
リフォームしてます。

琴ヶ浜。歩くとキュキュと音がなるそうです。
鳴らなかったけど。。

でも、綺麗な砂浜でした~

温泉は、温泉津温泉に行きました。
温泉津で、ゆのつといいます。。
兵庫の有馬温泉みたいなお湯でした~

2日目おわり

アロハ

りえです

3日目は、山口の萩に行きました

城下町の道は、昔から、変わってないそうです。
木戸孝允さん家や、高杉晋作さん家などあります。
萩城跡などもあります。お城は、昔1000円で売られたそうです。。

木戸孝允家です。
けんけんも、日記に書いてましたが。。
庭が狭いのは、萩のお殿様が、学問に力を入れていた為、広い庭は作らせなかったそうです。。

ここに、木戸さんも座って、庭を眺めていたかも。。
歴史好きとしては、密かにテンションが上がります。。

『ししてのちやむ』とは、死ぬまで努力を続けるという意味です。
こんな、真面目な落書き初めてみました。。
幼い頃からの、学問は大切です。。

参勤交代の際、大名行列が往来したメインストリート。

吉田松陰の松下村塾も行きたかったですが、時間がなかった為行けませんでしたが、
道の駅のところに、無料の吉田松陰館みたいなとこがあったので、そこで満足しました〔笑)
分かりやすくオススメです。
おじいさんだと思っていましたが、、亡くなったのは、30歳でした

つぎに、長門市へ。
金子みすず記念館。CMの
『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう。
『馬鹿』っていうと『馬鹿』っていう。。(以下省略)
でおなじみの金子さんです。

金子文英堂の再現。。

お部屋再現。
よく2階の窓から通りを眺めていたそうです。

この井戸は、本物。。


この詩すきデス

優しい。。

子供の時の気持ち。。

記念館の出口にツバメの巣がいっぱいあって、
衝突しそうになりました。。

街中に、金子さんの詩が、溢れています。。

おわり

豆知識2

R氏が書いておりましたが、吉田松陰は、おじいさんのような顔が印象にありますが、
実は30年という大変、短い生涯だったようです。

金子みすずも、26歳で生涯を閉じたようで、

有名になる人は、早熟で、短命の人が多いですね。

この2人について旅の記憶をたどりながら少しだけ書いてみようかと思い仕る次第ですが、

松蔭は、一言で言うと、すごい人です。
久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、
品川弥二郎、山田顕義という、後に偉大になる人々を教育したのは勿論ですが、
彼らに影響を与えるほど、自身の人生が、時代のひとつ先を行っていたという点で、
やはりとんでもない人だったようです。

11歳の時、藩主・毛利慶親への御前講義をし、立派な評価を得たということで、
生まれながらにして教育者だった様子ですが、

西洋の先進文化に感化され、留学を決意し、脱藩や密航を決意。
小船で停泊中の外国船に近づき、乗り込み、なんとか連れていってもらえるよう
懇願したようですが鎖国の手続きをしたばかりで罪は犯せないと拒否され、

後には倒幕なども考え死罪になったようで、破天荒な短い生涯だったようです。

これほど外の世界に対して、情熱を傾けることができる人は、現世には少ないかもしれません。

彼が開いた松下村塾は、生徒と共に(一人ずつ)意見を交わし、共に学ぼうという
方針だったようで、訪れた萩の道の駅では、塾の様子が再現されていましたが、
話の内容も分かりやすく、自分で孔子の言葉を解釈したりして、

まさに先生向きの人だったのだなという印象でした。

竜馬が一番すごごいと思っていたけれど(自由自在なので)、松蔭もおそるべし。



金子みすずは、そのまんま、詩人だったようです。
詩人というのは感受性が強く、普通の人のように生きていくほど強くないのかもしれません。

鰯は可愛そう。だとか、つばめの親の気持ちになったり。
当時のように男性社会では特に、結婚生活にも向いていなかったのかも。

26歳で自ら生涯を閉じたようですが、こうして言葉が残るということは、偉大なことです。

偉人のように、命を閉じてもなお、生きていけるひとは立派やなぁ。



追記、

日本はやはり外国に対して弱く、拉致など解決できない問題もありますね。
震災の復興に対しても、自身や政党の保守が第一で、政治がひとつにまとまることもできない。
そんなわけで強烈なリーダーシップを持つという国民性はないような気もしますが、

松蔭が今の日本を見たら、どう思うかしら。
意見を聞いてみたいものです。