シーズン1 Ep.38 悲しみのISI(アイエスアイ)final

ブログランキングに参加しています。よかったらポチっと押してあげてください。

山本ジョージ物語を書いていたとき、ふと、ひとつの記憶が蘇った。それは、同期が集まって行われた「四十歳研修」のことだった。

老後について考える時間があった。
「あなたの老後の一日を描いてください」と、講師が言った。

皆がペンを止め、黙り込む中で、私だけが迷わずタイムスケジュールを書き出していた。

――朝早く起きて釣りへ出る。
帰って魚をさばき、午後は釣りの動画を編集してYouTubeに投稿する。
夜は、その魚で一杯やる。

同期たちは口々に言った。
「けんたはすごい」「けんただけが老後を見据えている」と。今にして思えば、あの瞬間が、私の人生の頂点だったのかもしれない。

あれから六年が経った。

同期は次々と昇進していった。
時代はめまぐるしく移り変わり、
頼みの綱だったYouTubeも、TikTokの台頭で風化していった。

収益化は夢のまた夢。


私のチャンネルは、ただのホームビデオのように静かに置き去りにされた。いつか走馬灯のように振り返るためだけの映像――そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。

ある日、広島への出張があった。新幹線の座席で、若きISIの隣に、若く美しい女性が座った。帰りの便でも、またISIの隣には女子大生。

映画『ジョー・ブラックによろしく』のブラッド・ピットのように、ISIは若く、光をまとっていた。

洒落た服に身を包んでいた彼に、私は尋ねた。
「お洒落ですね。服はよく買うんでしょ?」

「いいえ」
少し照れくさそうに彼は笑った。
「服なんて、もう三年は買ってません。これ、嫁が買ってきたユニクロの700円のシャツです。ジーンズもGUですよ。」

私は、その瞬間に気づかされた。
彼はお洒落をしていたのではない。
ただ、その素材が美しかったのだ。
ユニクロもGUも、彼が着ればグッチやシャネルのように見えてしまう。

出張を終えても、胸の中にはモヤモヤとしたものが残った。


だが、羨んでも仕方がない。
人は皆、等しく年を取るのだ。

ブラッド・ピットも、クレア・フォーラニも、そして、私にも確かに若い頃があった。

誰かと比べるから、苦しくなる。
私は私――それ以上でも、それ以下でもない。

映画『ジョー・ブラックによろしく』は、本当に美しい物語だ。死神が青年の姿を借り、老実業家ビル・パリッシュと出会い、その娘スーザンと恋に落ちる。だが、それは終わりのある恋だった。

“終わりがある”ということの中に、生の輝きと哀しみを、あれほどまでに静かに描いた映画を、私は知らない。見終えた後、胸が締めつけられ、頬を涙が伝っていた。

結局のところ、人生とは何なのだろう。
私は何をしているのだろう。

いつも疲れている。酒のせいか、加齢のせいか、それも分からない。ただ、確かに時間は過ぎ、またひとつ、歳を取っていく。

それでも、みんなそうやって生きている。

ユニポスを眺める。
別れた友は新しい地で働き、若き戦士たちは、それぞれの場所で輝いている。
人生は思い通りにならない。
疲れ、悩み、へこたれながらも、
それでも皆、ちゃんと前へ進んでいる。

「心をひらいていれば、いつか稲妻に打たれる」
若き戦士たちへ、老実業家のこの言葉を贈りたい。

そして、人生に迷う友にも、ビル・パリッシュの言葉を。
「何をしても思い出す。妻を思い出さないで終わる日は一日もない。」

人生は、いつだって美しい。
なぜなら――すべては、いつか終わってしまうのだから。

”That’s life. What can I tell you?”

あとがき 「生涯をかけて、相手への信頼と責任を全うすること。 そして、愛する人を決して傷つけぬこと。 そこに“無限”と“永遠”を掛け合わせたとき――ようやく、それは“愛”に近づく。」

映画『ジョー・ブラックをよろしく』が描いた、愛の本質です。

死神とスーザンの恋。 けれどその陰で、老実業家ビル・パリッシュと娘スーザンの、もうひとつの愛の物語が流れています。

娘を想うその気持ちは、恋と呼んでも間違いではないでしょう。 ビルが最後に娘へかける言葉は…

今夜、私も車で帰省します。

娘からは「シール屋さんに行きたい」「アニメイトに行ってみたい」と次々にリクエスト。

そのたびに私は、つい「いいよ」と二つ返事してしまいます。

死神は強く、老いた人間であるビルには抗う力はなかった。

けれど、娘の前に立つとき―― 彼は、死神さえも凌ぐほど、強く、優しかったのです。

長編小説ISI物語完

けんたと話せるラインはこちら

友だち追加