シーズン1 Ep.23 せいみつけんさ

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7才の頃、私は「隊長」だった。アパートに住んでいた子供たちの中で、いちばん年上だったからだ。部下を引き連れてドブ川を攻めたことがあって、あくる日からみんな病気になった。責任はすべて、隊長である私にのしかかってきて、こっぴどく怒られたことを覚えている。

そんなバカみたいな毎日は幸せだったけれど、物心ついて、私は陰キャになった。

それまでのようにクラスの中心で騒ぐこともなくなり、出来るだけ目立たないように、突き抜けないように生きることを意識した。

生きるとは何だろう。
幸せって何だろう。

小学校3年生の頃には、すでにそんなことを考えていた。それから数十年が経ち、私は大人になった。気が付けば、今年で46歳、食堂のおばちゃんとか親戚のおじちゃんたちと肩を並べる年齢になっていた。だけど自分では若いままの気持ちだったから、そんなことにも気づいてなかった。

会社の個人用のレターケースを開いたら、健康診断の結果が届いていた。嫌な予感は的中して、要精密検査の項目があった。

胆嚢腫瘤性病変の疑い

た、たんのうしゅりゅうせい…びょ、病変?

長く生きてきたが、あまり見かけない呪術廻戦に出てきそうなレベルの禍々しいワードだった。たくさんコラムを書いて来たので、みなさま私の性格にお気づきだと思いますが、私は起きた出来事を秒速でネタにして周囲すべてに展開してしまうため、夜勤の3日間、グループのみなさんは私の悲観にあけくれた話を聞くはめになった。

ワタシにもしものことがあったら、D氏、頼みますよ。

あまりにしつこかったのか、D氏の返答はこうだった。

「そんなの、病院で検査して結果が出てからはじめて考えれば良いんですよ」。

24時間アニメを見ている子どもだとばかり思っていたD氏の、あまりに大人な回答に反省して(おそらく他人事だからかも笑)、それもそうか、大体ワタシって人生基本的に守られてるほうだし、と考えることにした。

夜勤明けにそのまま宝塚市民病院に行って、消化器科の先生にかかった。食事をとらずに行ったのでエコーをすることができて、念入りな検査が行われた。

検査結果を待つ間、ユニポスを眺めていた。誰が名付けたか四天王が一人、方言師滝下さんの投稿を見ていたら、とっても小さな出来事が、7月5日の予言のように大げさにかいてあった。

もみあげの白髪を奥さんに抜いてもらったら、なぜか毛の生えている方向とは反対、つまりレ点の方角に抜かれてしまった。血が溢れて脳汁が漏れたとのこと。笑

なんてスケールが小さくて、でも大きな愛に溢れた謎の物語。腹を抱えて笑ったら、気持ちが少し軽くなった。

さすがは四天王。持って生まれた性格なのだろうけれど、こんなのは誰にも書くことができない。おおらかな海のまち牛深で育った、滝下さんならではの世界観なのだろう(実は私も牛深に住んでいたことがあります。世界に誇れる魚釣りの楽園)。

胆嚢は画像検査になるようで、判定も画像を見るだけなので推測なのだろうけれど、結果は、コレステロールポリープだろうということだった。

6mmと、7mmのコレステロールポリープが、ふたり仲良く並んでいた。胆嚢のポリープは摘出できないので、手術の場合は胆嚢ごと摘出するようだ。

D氏に報告すると、とりあえず良かったですね、とのことだった。

ポリープが10mmを超えると手術の可能性も出てくるらしいよ。胆嚢なくても平気なんかな。

何でも知ってるD氏に尋ねると、

胆嚢がないと胆汁が常にタレ流しになるっすよ。

まるで、源泉かけ流しのようにさらりと教えてくれた。

コレステロールポリープ、つまり良性のポリープというひとまず安心の結果だったが、もし悪性の腫瘤、つまり胆嚢癌だったらいろんなことが変わっていた。

趣味については、そんなにやり残したことがない。魚釣りもキャンプも、一通り遊びつくしたと思う。石井さんみたいにギャルにモテたい欲望も、この先の人生にコレといった目標もなく、ただ変動金利に覚えながら返している住宅ローンと、これから先の娘のためのお金、家の補修費や、家具や家電の買い替えのためのお金。

大人の人生は切なくて、ずっとお金のことばかり考えている。夢とか希望とかそんなものは遥か昔にもうどこかに置いてきてしまって、足りない分はアニメや映画になんとか補ってもらっている。

だけど、やっぱりまだ死ぬわけにはいかない。腐っても私は、”Sパパ”なのだ。娘を育てること、そして、娘が変な人と結婚しないように見張っていないといけない。

普通が一番、父に子供のころからそう言われ続けたので、私には欲望があまりない。出世欲もないし(笑)、できるだけ普通に生きていければ良いと思っていたけれど、普通であることはつまり、健康である、ということもかもしれない。

死んでしまうほどの病気になることに比べれば、出世とか、お金とか、そんなことはちっぽけなことだ。

幼いころよく考えていた、生きることや幸せであることの意味。大人になると想像力はなくなって、チャットGPTに頼ったりして。

生きるって何?

チャットGPTはものの数秒で答えを返してくれる。とても正確に、緻密に、具体的に、的確なアドバイスをくれる。——だけど、本当の答えは、自分でしか描けないのだ。

どぶ川に飛び込んで遊ぶことなんて、チャットGPTは教えてくれない。病気になって怒られて、だけどバカみたいに楽しかった思い出。おかげでたくさんの免疫を獲得して、私はコロナにすらなったことがない。たとえば、

「滝下さんとは本当は、毎日すれ違ったのに声をかけれなかった。だから、はじめて会話した日が、まるで数十年ぶりの再会のようだった」、みたいに、

答えなんていつも曖昧なのだ。

人は運命の中で生きている。そういえば明日は7月5日。予言師が地球の終わりを告げた日だ。もしたつき諒の言うとおり、明日地球が終わっても、私は死ぬわけにはいかない。胆嚢に双子のポリープができようが、予言の大地震がこようが、サイド2群の1つのコロニーにパルスエンジンが取り付けられて地球に落ちてこようが、そんなちっぽけなことに負けるわけにはいかない。

だって私は、Sパパだもの。

そんなことよりもっと普通のこと、たとえば娘が変な人と結婚しないよう見張っていることのほうが、私にはずっと大きなことだ。

世界でいちばん大切な女性(ひと)と、ずっと手をつないでいたい。

ユニポスの中のみなさまへ、
そして卒業されたayanoさんへ、

「愛」をこめて

#健康第一