シーズン1 Ep17 生と死

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U製保全の糸井重里こと、AEさんから素敵なお便り(ユニポス)が届きました。

『ぼくの思い出は、ロケット鉛筆式』

最初は、ご自身の老化を卑下したギャグの類と思いましたが、数日頭から離れまへんで、 もしかしてこれは、もっと深い意味がある言葉だったのではないかしら、と思いました。

先日テレビを見ていたら、詩人、谷川俊太郎さんの特集が組まれていました。

生と死への向き合い方をめぐってたくさんの作品を発表された彼ですが、私も同じようなことをよく考えます。

二十歳にも満たぬ頃は、よく詩も書いていました。 その頃の詩を何か一つ乗せようと、blogなんかを辿ってみましたが、 ひとつも見つかりまへん。

当日はHTMLで詩を発表するためのホームページを作った記憶がありますが、 サーバーの解約と共に消えてしまい、そのあと引っ越したフリーのblogも今はblog会社自体が倒産したので残っておりまへん。

なんとか記事を残すためワードプレスに引っ越しましたが、詩の類はすべて消えてしまったようです。

記憶にあるのは、『蝸牛』。

窓辺にカタカタと這っているいる蝸牛を見ながら、生と死について書いた記憶があります。

蝸牛と言えば、雨とあじさい。

ちょうどそんな季節だなと、安倉寮の4階から窓の外を眺めています。

私と同じ、陰キャ属性の方にはもしかすると共感頂ける気がしますが、雨が好きです。

世界から、孤立させてくれるように雨が、窓から内側の世界だけを遮ってくれる感じ。

私はカタカタと窓を這う蝸牛のように、何も考えず生きて(這って)いるのです。

単身赴任をしていると、必然的に孤独と向かう時間が増えます。

4階から見えるものは、鉄塔と、複雑に交差する電線と、遠くの木の頭たち、それから飛行機、ときどきやってくる鳩と、電線に少しだけ止まって飛んでいく雀。

世界から人間が消えたような錯覚に陥りますが、窓の下では煩い単車の排気音。

人間たちは確かに存在していて、何も考えていない私とは違い、みな忙しく働いています。

時間は確かに過ぎていて、私もまたその一人として存在していることを知りますが、雨が降ると雰囲気は変わって、聞こえてくるのは雨の音だけ。

外に出る用事もなく、お気に入りの椅子に座って、テレビをつけることもなく、本を読むこともなく、ただ生きているだけ。

生きているとは何だろう。

死とは何だろう。

時間とは何だろう。

私の思い出せない詩のように、過ぎ去ったものは消えていくのではないかしら。

AEさんは、きっとそんなことを私に教えてくれたのでしょう。

さすが、AEさん。

先日はアニメに疲れて、ふとおすすめに上がってきた『室町無頼』という映画を見ました。

主演は私の大好きな大泉洋、助演も私の大好きな堤真一。 俳優という職業には憧れます。

私も演じてみたいものですが、想像しただけで酷い有様が目に浮かぶので、俳優という職業は尊敬します。

テレビの中ではいつもコミカルで、面白いことをいう大泉洋も、室町無頼で蓮田兵衛を演じさせたら、それはもう武士そのものでしかありまへん。

剣の達人でありながら、勝手気まま、飄々と世を生きる彼ですが、芯に持つ心は熱く、飢饉や疫病でバタバタと人が倒れる中、贅沢の限りを尽くす貴族たち相手に一揆を主導します。

「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という有名な言葉がありますよね。

常に死を意識する武士の世界では、死はより身近なものであったことでしょう。

大泉洋の演じる蓮田兵衛は、実際には古書に一揆の主導者として名前の一文だけが残っている人物ですが、 大泉洋は、見事その役を演じ切りました。

実際の蓮田兵衛がどんな人物であったのかは誰にも分かりまへんが、生と死が隣り合わせであった時代に自分の信念に基づいて一揆を主導した人物ですから、大泉洋の演じた人物そのものであったのだろうと思います。

生はロケット鉛筆のように、たしかにその役目を終えたら消えてしまうだけのモノに違うありまへんが、きっと後世につなぐために人は生まれ死んでいくのだろうと思います。

ME timeなるものに小さな頭を悩ませながら、ふとそんなことを考えてみました。

蝸牛のようにただ這っているだけに感じることもありますが、ME time、私の時間、私たちの時間にも、きっと意味はあるはずです。

#連載で実在する人物をキャラクター化してしまっている私ですが、そこに愛はありますのでみなさまご容赦ください。愛すべきキャラクターに囲まれて、毎日幸せです。生と死を考えるとき、人は人のために生きているのだと気づきます。

#半本のみなさまへ。愛をこめて。

まだ続きます…

盛り癖をやめて、生きていることをもっと簡単に考えてみると、ちょうどこの連載を発表する今日は、娘の10歳の誕生日です。

誕生日当日に帰ってあげれまへんでしたが、次の休日に帰省したら、コナンを観に行ったり、娘の部屋用のエアコン選びとアレクサの設定、自転車選び、猫島の雲丹など、まだまだ抱えきれないほど娘のための予定があります。

2015年の今日、朝6時半。

難産で生まれてきた娘は泣きませんでした。息をしていないと先生がおっしゃって、別の部屋に連れていかれマッサージをされました。

頭が真っ白で何も考えられまへんでしたが、数秒だったのか数分だったのか、泣き声が聞こえたとき、涙が止まりまへんでした。

声をあげて泣きじゃくる私に、あなたなら大丈夫ですねと助産師さんがおっしゃいました。

生きていることは、本当に美しいことです。

入社した時、魔法使いハウルに憧れて髪伸ばしてた私に、同期のマティ班長が教えてくれました。

#おまえな、生きるってのは髪を切ることやで

生まれて初めて見る関西人は、今考えてみると私よりずっと大人だったのかもしれまへん。

生きるっていうことは実にシンプルなことで、髪を切り、爪も切り、洗濯をして、掃除もして、ご飯を食べて、お風呂に入って、ゆっくり眠って、仕事をして、たまには同期とお酒を飲みに行って、思い出話しをして笑い、酔っぱらって次の日に寝込む。

生まれてきたことは、死んでいくことは、何だろうと人は考えてしまうものですが、与えられた1日1日を大切に生きる。本当にそれだけのことなんだろうと今になると思います。

憂鬱な月曜日も、大切な人生の1日。

私は上長との面談から始まりますが、娘の誕生日なので頑張ります!

みなさまも良かったら、おめでとうと心の中で囁いてあげてくださいね笑

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